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キノの旅

第一話「おちんちんの国」
― want to lick. wonder ―

翠緑の水平線を、乾いた風が撫でている。
土を踏み固めただけの道が地平線のその向こうまで、遠く遠くに続いていた。
辺りには膝の高さほど草が覆い繁っており、それが風に揺られて静かに波打っている。
地平線の向こうに煙が見えた。やがてそれは輪郭を現し、すぐにそれはモトラド (注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)
に乗った人間だということが分かった。
運転手はかなり若い。歳は十代の中頃といった位であろうか。短い黒髪に精悍な顔立ちをしており、
黒いジャケットの上に茶色いコートを羽織っていて、腰を太いベルトで締めていた。
右股のホルスターにはかなり使い古されているのか、古ぼけたハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)が
一挺収まっている。撃つ度にハンマーを上げる必要がある、単手動作式のリヴォルバーである。
 
「だからさ、キノ。ベーコンに手を出すのはまだ早かったんだってば」

モトラドはスピードを緩めずに、運転手に向かって話の続きを言い出した。

「キノは相変わらず食べ物のペースを考えようともしない。ちょっと前の国でお礼に沢山食べ物を貰ったんだとしてもさ、
 あんな勢いで食べてちゃすぐに無くなるに決まってるさ」

キノと呼ばれた運転手は無表情のまま、アクセルを吹かせる。
「わあっ」という声と共に、そのモトラドは軽くウィリーのように車体を浮かせ、それから更にスピードを上げて走り出す。

「危ないじゃないか。そんな、ずぼらを突かれたからってさ」
「それを言うなら図星だろ、エルメス」
「あ、ようやく口を開いた」

ぶっきらぼうなキノの声に、エルメスと呼ばれたモトラドは対照的に嬉しそうに声を弾ませる。
キノはその丹精な顔立ちを嫌そうにゆがめた。

「まあ、確かにペース配分は間違えたよ。それは認める。ボクとしたことがね」
「そうだよ、とっくに手に入れた食べ物は食べ切っちゃったっていうのにさ。残ってるのって、あとはなにさ」
「・・・いつもの携帯食料だけ」
「ほらね。やっぱり言った通りだろ、キノは考えが足りないってさ。いつか無くなるんだとしても、少しはそれを長く
持続させるって事を覚えたらどうなんだい?」

言われてキノは押し黙る。
少しの沈黙が続いて、それから根負けしたように、キノは小さくため息をついた。

「あー、もう。良いよ、その通りです。で……まだ食べたり無いからあの国に行くって決めたんです」
「あ、認めた。・・・で、あの国って、次に行く国?どんな所なんだい」
「詳しくは知らないよ。ただ、師匠が『オカズに困ったら行ってみなさい』って」
「ふーん、師匠が?」
「うん。美味しい物、沢山あるらしい」
「ふーん」

興味なさそうに相づちを打つエルメス。

道はどこまでも続いている。
地平線には穏やかな風が吹き抜ける。
その風を追うように、キノとエルメスは地平線の向こうに消えていった。





「ーーー凄い列だね」

エルメスは疲れた声色で小さく呟いた。
道の上に、大勢の人が並んでいる。

「色んな人が居るね」

エルメスの呟きに、キノは対照的にうきうきとした声で返す。
沢山の人達は、様々な人達でもあった。
まだ14〜15の若い女も居れば、老境に差し掛かった男も居る。
如何にも旅人といった様子の男が居たと思えば、そのすぐ横に見たこともないような珍妙な恰好をした女が居て、楽しそうに歓談している。
そういった沢山の様々な人達が、草原に走る道の上に、どこまでもどこまでも続いていた。
キノとエルメスはその列の中に居た。

「この人達、みんな入国待ちなんだよね」
「そうだね」
「でも、全然進まないね」
「そうだね」
「でも、何でだろう。みんなこんなに待たされているっていうのに、なんだか楽しそうだね」
「そうだね」
「・・・キノ、話聞いてる?」
「聞いてるよ。言ってる事も分かってるよ。だからボクも楽しみでしかたないんだ」
「どうしてだい?」
「待つのが辛くならないってことは、裏を返せばそれくらい美味しいものが沢山あるって事なんだよ、きっと」
「・・・楽天家」
「ああ、美味しいもの、沢山あると良いなあ!ここで沢山食い溜めするんだ!けどこんなに人が沢山居たらボクが食べられる分あるかなあ!」

ボソッと言ったエルメスの言葉をかき消すように、キノはご褒美を待ちきれない子犬のような声で言う。

「おっ、旅人さんもお仲間かい?」

声を聞きつけたのか、キノの目の前に居た男性が話しかけてきた。
使い古して所々擦り切れた旅装に身を包んだ如何にも旅慣れしていそうな男性で、気さくな笑いかけてくる。

「ええ、まあ」
「そうか!いやー、楽しみだよ。なんたって今日は一年に一度の大イベントだもんな!」

と嬉しそうにキノの手を取って強引に握手する男性。
その手を握られたまま、キノは怪訝そうに首を傾げる。

「大イベント?」
「おいおい旅人さんもそれ目的なんだろ?なんせこの祭は有名だから!」

キノとエルメスは互いに顔を見合わせる。
その様子に男性は心底驚いたように口を開く。

「おいおい、本当に知らないって言うのか?お前らも買いに来たんだろ?オカズ」
「ええ、まあ」
「だよな?こんな辺境までわざわざオカズを買いに来るなんて、随分な好き者だって事だろ?
 なのに何でこの世界的な祭を知らないっていうんだ!?」
「え、いや、好き者、ってそんな、ボクは別にそんな食べ物に拘りはないっていうか、グルメでもないっていうか」
「いいや馬脚を現したな。一般人はオカズの事を食べ物だなんて言わない。つまり普段何気なく消費している、常食しているという事だ!
 ええい、いいぞう!そんな女みたいな顔して、子供で、もうそんな汚れているなんて!この業界ではご褒美だ!そうだろう!?」
「えっと、言え、ボク、女ですけど」
「お、お、女!?ボ、ボ、ボクっこキタ━━━━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━━━━!!
 二次元が!やっと!デレて来た!俺にデレて来た!あのツンデレが!ツンデロに!」

益々興奮ぎみにまくし立てる男性。キノは苦笑いを愛想笑い隠しながら、男性に気付かれないようエルメスに囁く。

(なんか、変な人だね)
(キノ、本当に良い国なんだろうね?なーんか無性にいやな予感がするんだけど)
(さあ・・・師匠が言ってた事だから)

愛想笑いの表情を崩さずに男性を見つめるキノ。
相変わらず男性は鼻息を荒くして話し続けているが、キノには何のことだか良く分からなかった。
少し経つと、男性の知り合いだろうか。大きな女性の顔が描かれたシャツ、頭に迷彩柄のバンダナを付けた男達が旅人の男性に声を掛けてきて、
二、三言なにかを話したと思ったら、急に全員でキノに向かって敬礼をした。
それから益々キノには理解のできない言葉が飛び交い、甲高い早口の中度々現れる「ブシロード」という単語が
キノの思考を満たしきったあたりで、唐突に草原の中にサイレンの音が鳴り響いた。
その音を聞いた周囲の人間はみな一斉に並んでいた列の先端へ顔をやる。
古ぼけたサイレンの音が数秒鳴ってから、続いてマイクの入るノイズ、それから『あー、テステス』と嗄れた老婆の声が聞こえてきた。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返った。皆固唾を飲んで、じっと次の言葉を待っている。

「ねえキノ、なんだい?何が始まるんだい?」
「ボクに聞かれても分からないよ。そこの旅人さんに聞いてみたら?」
「えー、いやだよ。近付きたくない」

そうこうしていると何度目かの『テス』の後で、老婆は大きく咳をして、それから言葉を続ける。

『えー。長らくお待たせいたしました・・・これより、第238回ショタケットの開催を宣言します』

老婆の声に皆拍手をし始めた。
皆一様に満面の笑みを浮かべ、誇らしげに手を叩いている。
キノもなんだか分からないが、取りあえず周りに合わせて真似をしてみる。
数十万の雨のような拍手音のシャワーが草原中に降り注ぐ。
その音が止み切らぬ内に、老婆は二の句を続けた。

「ではーーー」

ごほん、と大きく咳をして一呼吸。
それから老婆は言った。

「おちんちんランド、はじまるよー」

瞬間、世界は音で埋め尽くされた。

「わぁい!わぁい!」
「フォーメーションB!デルタチーム応答せよ!」
「祭じゃあああああああッッッ!!」
「ピッチピッチ!ピチピチピッチ!生足ジャニ顔美少年!!」
「てめぇ追い越しとかマナー違反だろ!畜生これだからJ勢は民度が低いって本スレが荒らされるんだよ!」
「ぼ〜じゅ・・・さそりがため・・・こうじま奈月・・・さくらでんぶ・・・!」

全速力で走る音。押しのき合う音。
叫び声。怒鳴り声。嬌声。叫声。凶声。
怒っている者も居た。笑っている者も居た。泣いている者も居た。多種多様の人達が居た。
だが皆の唯一の共通点は、ただひさすら、前に向かって走りつづけていることだった。
キノとエルメスは呆然と立ち尽くし、地平線に浮かぶ土煙を見つめていた。
そしてそれらが見えなくなった後には、広い広い草原の中にはキノとエルメスだけが残った。

「・・・すごいね、キノ」
「・・・うん」
「・・・なんだろう。なにかさっき、さらっと凄い単語がスピーカーから流れてなかった?」
「・・・うん。ボクにも聞こえたよ」
「・・・行く?」
「・・・いや、やっぱりいいや」

キノはエルメスに乗り、エンジンを付ける。
独特な排気音が空気を揺らした。

「・・・帰ろうか」
「・・・うん」

そうしてキノはアクセルをひねる。
ゆるゆるとしたスピードで、キノ達は土煙の上がっていた方向とは反対側へと走り出した。
やがて彼らも地平線の向こうへと消えていき、見えなくなる。
辺りには何も無い。ただのんびりとした風が、静かに草原を揺らすばかりだった。